こんばんはTakaです。
今回(2021年7月20日)放送のセブンルールでは
障害馬術のトップ選手の広田思乃さんの
様子が放送されます。
高校生での競技開始と遅すぎるスタートながらも
高校3年生で国体優勝という異例の上達を果たした広田思乃さん。
その上達には愛馬だけでなく夫婦間、家族の関係性が
影響していたと思われます。そんな人間だけでなく
馬とも良好な関係性を築ける広田思乃さんのことが
気になり調べてみましたので一緒に見ていきましょう
1.広田思乃さんのプロフィールや経歴
本名 :広田思乃(ひろた しの)
生まれ:1983年9月1日
年齢 :37歳(2021年7月時点)
出身 :秋田県
所属 :那須トレーニングファーム
資格 :日本馬術連盟A級ライセンス
全国乗馬倶楽部振興協会初級指導者
社会福祉士
家族構成:夫、お子さんの三人
※みなさん馬術競技者
夫(旦那):広田龍馬
お子さん:広田大和
2.広田思乃さんの成績がすごい?
広田思乃さんの行っている障害馬術は、
コース内に置かれた障害物を決められた順番に飛び越え、
タイムと落とした障害の数で競うレースで、
オリンピックで唯一の男女混合競技です。
秋田県大仙市出身の彼女が乗馬を始めたのは、
選手としては遅すぎる高校の部活動だった。
馬と心を通わせるのが重要な競技で、
誰よりも馬との時間を優先させ、
高校3年生で国体優勝という異例の上達を果たす。
秋田県立角館高校→国際医療福祉大学卒業
2001 宮城国体 少年スピード&ハンディネス 優勝
2010/2011 JRAホースショーグランプリ大障害 優勝
2010 千葉国体 成年女子標準障害飛越 優勝
10、11年のJRAホースショーグランプリ大障害で2年連続優勝。
2011 山口国体 成年女子トップスコア 優勝/標準障害飛越 優勝
18年11月、全日本障害馬術大会で優勝。
全日本障害飛越選手権優勝など、数々の大会で優秀な成績を納める。
2019年スウェーデンで開催されたW杯に出場し、アジア人女性では初の決勝進出を果たす
高校デビューという遅すぎるスタートにもかかわらず
なぜこのような異例ともいえる速さでの上達を成し遂げたのでしょうか?
そこには、馬と心を通わせるのが重要な馬術という競技の特殊性と
愛馬の通称”ブチ”君との出会い。
そして馬術の師匠で夫でもある龍馬さんやお子さんである
大和さんとの環境や関係性にあるのかもしれませんね。
3.広田思乃さんと夫(旦那)・子供の関係性や愛馬への思い
広田思乃さんが馬術を始めるきっかけはふとしたことだったようです。
幼い頃から病気がちだった広田思乃さんは、スポーツができずにいた
。ところが、高校に進学するときに見た、一枚の馬の写真が彼女を変えたそうです。
「写真を見たときに、馬なら乗ってもいいんじゃないかと勝手に思って、
乗馬部に入りました。毎日、馬の世話で楽しかったのですが、
半年ぐらい経って病気で入院することになってしまった。
友達もまだできていなくて、退院したときに
私を受け入れてくれたのが馬たちだったんです」
ずっと馬と共に生きていこうと決意した。
その時に馬術をおしえてもらったのが夫(龍馬さん)の父親の
広田健司さんだったそうです。
健司さんの目には遅いスタートながら
ただ、必死さが違うんです。
父は感情移入能力と言っていましたけど、
馬に自分のココロを託して、馬の気持ちと一緒になる力がすごく強かった。
だから、初めからこの子はモノが違うなと思っていました」
広田思乃さんと龍馬さん二人が知り合ったとき、夫はすでにトップ選手。
妻である広田思乃さんは彼(龍馬さん)の指導を受け、初めて日本一に輝いた。
広田夫婦はご自身の馬術競技者としての活躍も行っていますが
その一方で馬と心を通わせることが重要な競技であることや
今の子供たちはコミュニケーションを取るのが下手な子が多く
現実に、登校拒否になった子が、馬と触れ合うことで、
人と繫がることの大切さを再び思い出し、
学校に通うようになったこともあるんですから
ということから夫婦の共通するテーマは、ホースセラピーを全国に広めること。
なんだそうです。
そのようなテーマを夫婦で共有していることから
当然のように夫婦関係が良好であろうことは容易に想像できますし、
そのようなご夫婦を身近に見ているお子さんの広田大和さんも
ご夫婦のあとを追うように馬術の道に進んだのも
自然な流れなのかもしれませんね。
そんなトップアスリートとして輝かしい成績をおさめる広田思乃さんの相棒は、
マダラ模様の馬“ライフ・イズ・ビューティフル”=愛称ブチくん。
「ブチくんと出会っていなかったら、ワールドカップは無理だった」というほど。
今後の広田思乃さんと広田家族のご活躍を応援したいと思います。
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