こんばんはtakaです。
今回(2019年7月12日)の
爆報フライデーでは
かつての超人気歌手の今(現在)を
追います。
かつて1960年代には
橋幸夫、西郷輝彦とともに
御三家として売れていた歌手で
西郷輝彦のライバルと言われ
超美形で人気のあった梶光夫さんが
1970年に人気絶頂のまま
引退した現在を追いました。
1.梶光夫さんのwiki風プロフ
名前 :梶光夫(かじみつお)
本名 :梶芳道
生まれ:1944年9月9日
出身地:大阪府大阪市
所属 :株式会社 カジ・インターナショナル
役職 :代表取締役社長
梶光夫さんは1964年にコロムビアレコードより
「黒髪」で歌手としてデビュー。
そして純愛を歌った「青春の城下町」が
40万枚の大ヒットし、
月のテレビ出演も40本を超え
映画にも多数出演していました。
青春純愛路線の大スターでした。
当時比較されていたライバルは
西郷輝彦さんです。
当時の雑誌ではまるで解剖図(?)のように
数値で比較されていますね.
1966年「星のフラメンコ」が30万枚の
大ヒット。
高田美和さんとのデュエット曲も大ヒット。
一方、西郷輝彦さんは当時
「橋幸夫」、「舟木一夫」と並び
御三家と呼ばれていました。
なぜか御三家にはなれませんでしたが
青春純愛路線のスタートして人気でした。
2.梶光夫さんの引退の理由は?
そんな人気絶頂の梶光夫さん。
しかし、1971年の人気絶頂の時に
急に芸能界引退を発表し、芸能界に衝撃が
走りました。
西郷輝彦さんも「凄く人気あったのに
情報はいってこなくて、どうしたんだろう」
と不思議に思ってたそうです。
芸能界引退の原因については、父親との
約束だったそうです。
といいますのも、梶光夫さんのご自宅は
大阪で、時計・宝石・貴金属を扱う
「スイス時計店」の長男としてお生まれになりました
長男として生まれましたので、当時の
長男が家業を継ぐという風潮が強く、
その考えのお父さんとの約束だったものと
思われます。
3.梶光夫さんの現在(今)はジュエリーデザイナで人気!?
そのような理由で芸能界を引退した
梶光夫さんは、その後ジュエリーを学びに
アメリカに留学し、宝石額とジュエリーデザインを学びました
そして、1983年(39歳)の時にご自身の会社
「カジ・インターナショナル」を設立し、
そのデザインが人気を呼び、大成功。
以下のような代表作など
とにかくこだわりのデザインが人気の秘訣だそうです
その中でも最も高額なジュエリーが
なんと5億5千万円!
今では、東京渋谷区に事務所兼自宅の
七階建ての自宅や
超豪華な高級車を
保有するまでの成功をおさめました。
撮影当日も高級外車で颯爽と現れました
そのお車のお値段なんと5,000万円以上!
そのご自宅の凄さは
居間などの豪華さとともに
その高級な装飾品も凄い状態ですね
あまりにも美術品が多すぎて
昨年自宅内に美術館を作ってしまったそうですよ。
自宅に美術館っていったいどれほどの美術品を
お持ちなんでしょうね
そして、梶光夫さんは
32歳の時に12歳も年下の裕子さんとご結婚され
そのお二人の間に生まれた息子さん(武史さん40歳)も今は
「宝石界のプリンス」と呼ばれ
ジュエリーデザイナとして成功されています。
4.梶光夫さんまとめ!?
私生活では32歳の時に
12歳とししたの裕子さんと結婚
そんな成功をおさめた梶光夫さんにとって
芸能界の当時のライバルだった西郷輝彦さんは
どんな存在だったのかと聞かれると
「心の励み」だったようで、
負けまいと頑張ったそうです。
また西郷輝彦さんと若い時に一緒に仕事を
したことが自分にとっての宝物だったそうです
その負けまいと頑張る精神は
十分発揮されたように思いますね。
番組では梶光夫さんから西郷輝彦さんへの
プレゼントも用意されていました。
西郷輝彦さんのことが励みになった、今も
良い関係ということを表すかのような
エピソードが西郷輝彦さんから紹介されました。
それはずいぶん前に名古屋での西郷さんのショーの時のこと
ショーを終え、ホテルに帰ると梶光夫さんからの
励ましのメッセージが。
しかし、住所などの連絡先も記載されてなく
西郷さんは返事をすることもできず今まで過ごしてしまったことが
実はすごく心残りだったそうです。
でもきっといつか会えると信じてましたと。
今度ぜひ一杯飲みましょうと声をかけられてました。
約50年近く経った今も、こんな関係で居られるって素敵ですね。
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