熊川智子(アドベンチャーワールド)パンダの伝説飼育員のプロフ・経歴は?【逆転人生】

こんばんはtakaです。

今回(2020年8月17日)放送の

『逆転人生』では熊川智子さんが登場。

熊川智子さんは和歌山のアドベンチャーワールドで

働くパンダ飼育員さんで、

繁殖を幾度も成功させた“伝説の飼育員”

とまで言われているお人だそうです。

 

どのような人なのか気になり調べましたので

一緒に見ていきましょう

スポンサードリンク

1.熊川智子さんのプロフィール

出典:https://www.google.com/

プロフィール

名前 :熊川智子(くまかわ ともこ)

生まれ:1972年

出身 :東京都

最終学歴:専門学校

所属 :アドベンチャーワールド

担当 :パンダ

熊川智子さんは

1993年に株式会社アワーズ(アドベンチャーワールド)に入社しましたが、

これは動物好きが高じて、

恩師にアドベンチャーワールドを勧められたからなんだそうです。

もともと非常に動物好きだったんですね。

飼育員になれたのは天職に付けたような感じですね。

熊川智子さんは

「上野動物園にパンダが来た年に東京で生まれ、

入社した夏にジャイアントパンダの

「永明(エイメイ)」と「蓉浜(ヨウヒン)」がやってきた。

そうで、パンダと運命的なものを感じますよね~。

スポンサードリンク

2.熊川智子さんの経歴は?

その後、飼育員になるために専門学校に進学。

恩師にアドベンチャーワールドを進められ、

1993年に株式会社アワーズ(アドベンチャーワールド)

に入社しました。

 

始めは馬やポニー、小動物、カバなどの担当、

のちに(2003年頃)パンダの飼育担当となる。

 

最初の一年は遊園地で接客を学び、

2年目にふれあい広場の小動物担当になった。

「ポニーの調教をしていたら発疹がでて、

『馬アレルギー』だと気づきました。

もう飼育員はできないと悩みましたが、

友達もできたし、なんとか続けてきました」

 

動物好きの人が動物アレルギーとは

辛いものがありますよね~。

 

その後に一旦現場を離れ、営業や企画、広報を担当。

2012年に再びパンダを担当するようになり、

リーダーとしてチームを率いて、

ジャイアントパンダをはじめとする動物の繁殖に取り組んでいる。

スポンサードリンク

3.熊川智子さんの飼育実績が凄い!?

熊川智子さんは2003年から約3年。

その後一旦パンダ担当から離れるも2012年から

再度パンダ担当になりました。

 

アドベンチャーワールドの飼育方法は独特で

母と子を引き離さずに子育てをさせ

世界でも類を見ない繁殖実績を上げてきたのだそうです。

 

2018年までに17頭のジャイアントパンダの繁殖実績があり、

2017年までに15頭を育成。

これは中国を除くと世界で最多なのだそうです。

 

そもそもアドベンチャーワールドに

初めてパンダが来たのは1988年なのだそうです。

この場所にパンダが来た経緯が

当時の中国におけるパンダの状況にあるようです。

 

といいますのも当時、中国は森林伐採やえさ不足による

野生のジャイアントパンダ減少に危機感を募らせていて

アドベンチャーワールドは中国側に飼育繁殖を

共同で行いたいと申し出たのだそうです。

 

パンダは交尾から、出産、成長まですべてが難しいとのこと。

パンダのメスは発情期が短いため、

オスとメスの相性を図るタイミングが

難しくその後も困難が待っています。

 

パンダの赤ちゃんは小さく上野の赤ちゃん場合、

鼻先からしっぽの付け根までの体長は16.4センチしかなく

健康状態の確認や母乳を飲んでいるかの確認なども苦労します。

生まれたての赤ちゃんパンダは非常に弱く、

室温や湿度にも気を配る必要があり

体調管理にも非常に気を配らないといけないのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です