こんばんはtakaです。
今回(2019年9月4日)放送の番組
「あいつ今何してる?」では
栗秋正寿さんが出演します。
修猷館高校の頃から先生に
「化け物」、「奇才」と
言われた彼、栗秋正寿さんは
それから約20年経過したいまは
どうなっているのでしょうか?
気になり調べましたので
一緒に見ていきましょう
もしこの記事でご自身でもやってみたいという
方がおられれば、参考になる情報を
最後に記載していますので、ご参考までに
また栗秋正寿さんたち登山家の方が
遭難など、トラブルに見舞われた場合に
その対応、救助される「山岳医」である
大城和江恵さんが「情熱大陸」で特集されます。
よろしければご覧ください
1.栗秋正寿さんの経歴がヤバい!?
名前 :栗秋 正寿(くりあき まさとし)
生まれ:1972年8月15日(大分県日田市)
出身 :福岡市
学校 :福岡県立修猷館高等学校
九州工業大学大学院中退
受賞歴:植村直樹冒険賞
自称 :「山の旅人」
福岡県公立高校No.1の偏差値の
修猷館(しゅうゆうかん)高校に入学。
No.1のその偏差値はなんと72!?
九州の公立高校東大合格率がトップの高校。
私のような一般人では想像つかない偏差値。
卒業生には朝日新聞社や明治乳業など
名だたる企業の社長さんが名を連ねる高校。
この高校の教育の特徴が「自主独立」だそうです
そんな凄い偏差値なので学問の方で
凄いのかと思いきや、違うのです。
自称「山の旅人」と言っているように
実は登山家なのです。その功績の
詳細は後述しますが、高校時代から
その実力は周知のもの。
きっかけは、修猷館高校入学を
控えた休み友人に誘われた見た映画
「ラブストーリーを君に」という
後藤久美子さんと仲村トオルさん演じる
白血病発症した少女が山岳部員の元家庭教師と
共に生きるというストーリーの映画で
その中の山からの景色に魅了され
そしてこれから進学する高校に
山岳部があると聞き、入部したのがきっかけだそうです
栗原正寿さんが所属していた山岳部の
顧問の先生の27年間の教師生活の中で
一番の印象があった生徒だそう。
入部当時は見た目が非常に華奢で
ごく普通に見えた栗原正寿さんが
山に行くと「化け物」に変わる。というほど。
非常に過酷な山岳部のトレーニング。一年時から26kgの
非常に重い荷物を担いで10時間とか12時間
歩く訓練をし退部者が出るほどの訓練でも
栗原正寿さんが「ハアハア」と疲れてるとこを
一回も見たことがないそうです。
それどころか「楽しかった」と。
二年時はさらに凄く50kgの荷物を担いで歩く
しかも中学から継続していた
バンド活動と並行して行っていたというからすごい
大学でも山岳部に入部したが22歳の時に
大きなアクシデントが。
バイクの整備中に誤ってチェーンに
指を挟み、第一関節の部分を欠損。
普通なら落ち込み山登りどころではないはずが、
栗原正寿さんは、奇才と呼ばれる所以か
さらに山登りに屋伯復活したいという情熱にかられた。
2.栗秋 正寿さんの達成した記録は?
22歳の時の大怪我をきっかけに山登りに火がついた
そんな栗原正寿さんが成し遂げた
登山記録は以下の物です。
1995年7月デナリ(マッキンリー 6194m 夏季)
1998年3月マッキンリー(冬季)
マッキンリー、特に冬季のマッキンリーは
危険な山として有名で、冬季単独登頂を果たした
世界的登山家「植村直己」さんですらが
下山中に消息不明に・・・。
その危険さは”気温”
真夏の頂上でもマイナス25℃~30℃
そんな危険な山に栗秋さんは22歳で挑戦。
その様子は2,200mのベースキャンプから
およそ1ヶ月半をかけて登るというもの。
通常ならそのような環境はつらいという感情が
先に立つと思うのですが、
栗原正寿さんは「やろうとしたことが実現して
興奮が抑えられない状態」だったとのこと。
さすが奇才。そして天候なども味方してくれて
初めての挑戦で成功(夏季)
この功績で世界レベルの登山家への第一歩を
踏み出しました。
そして次に挑んだのが、「冬のデナリ」
あの植村直己さんですら下山中に消息不明になったところ
夏季との大きな違いは、やはりその温度。
夏季はマイナス30℃だが、冬はマイナス60℃にまでなるという。
冬のデナリは「魔の山」と呼ばれ、当時の成功者は世界でたった三人。
問題は「風」。確認できた中で一番早いのは「秒速84m」
何人かは風で亡くなる方も出るほど。
そのすごさを栗原正寿さんは
「寝袋がコチコチ」
「テントの中にいるのに外の雪の中にいるような感じ」
最初の挑戦は5,200m地点で断念。
これで火が付いた栗秋正寿さん、
休学中だった大学を退学し
バイトとトレーニングに専念し、
二回目で成功。しかも世界最年少記録付きというすごさ。
栗秋正寿さんの登山における奇才ぶりは
そのスタイル。
GPSやリアルタイムに入る情報などを用いず、
その場の状況だけで判断して登山するといいます。
ご本人曰く「文明の利器を持ち込んで登山すると
(せっかく大自然に挑戦しに行ってるのに)
何をしに行ってるのかわからなくなる」からだそう。
そんな世界的偉業達成よりも、早く次の
「ハンター」、「フォレイカー」に行きたいと
いう思いの方が先に立っていたとのこと。
その翌年26歳の時にはフォレイカー(5304m)に挑戦。
当時前人未到の冬季単独登頂を目指した。
しかしデナリをも超える環境で一度目は失敗。
その後も三度失敗し、
四度目の挑戦で「フォレイカー」を征服。
物凄く時間をかけて登ったにもかかわらず、
デナリすら凌駕するそのさむさに
写真をパパっと撮影して下山。
その頂上滞在時間わずか5分!
その偉業は世界でも賞賛され
日本国内でも2010年第15回植村直己冒険賞を受賞。
デナリの麓の村では
「植村直己の旅を終わらせた男」として賞賛されているそうです。
かっこいい~!
また難攻不落、死者が続出する北米三山に挑戦し
生きていることから
「He is still alive(彼はまだ生きている」と言われてます。
3.栗秋 正寿さんの結婚は?
栗秋正寿さんは30歳の時に
大学の教員として勤めたおられた現在の
奥さん(聖子さん)とご結婚されました。
そして、二人の子宝にも
恵まれました。
4.栗秋正寿さんの仕事や収入は?
そんな数々の偉業を成し遂げてきた
栗秋正寿さんの現在の仕事や収入源は
今までの活動を出版したり
学生時代から好きだった音楽の作曲をしたり
登山などで撮影した写真などを
提供したりしています。
写真などは栗秋正寿さんしかみたことのない
風景があるでしょうから、
見たい人多いでしょうね。
こういうときでないと見れない世界ですもんね。
貴重な写真ありがとうございます。
5.栗秋 正寿さんの今後は?
栗秋正寿さんの現在は
北米三山の残りの一つである「ハンター」に
挑戦中。
「ハンター」登頂成功の嬉しい知らせが
聞ける日が来るのが待ち遠しい感じですね。
余談ですが、
私の住んでいる場所は周りに自然が多いせいか
私の同僚の趣味は”釣り”か”山登り”の人が多いです。
みなさん年齢のせいか自然の魅力に惹かれるようで(笑
しかも、まずは近場の山に手始めに登ると
ますますハマりどんどん遠くの山に、次々に挑戦していきます。
中には富士山にまで、出かける方も・・・。
近場のそれほど高くない山に登るのであれば季節がよければ
それほどの事前準備、装備は不要かもしれませんが、
富士山に登るなら、それなりの装備が必要なようで
既婚者の方は、奥さんとよくその装備代を説得するのに
苦労していたようです。それほど、何回もいくわけでもないのに
お金をかけて、装備を準備するのになかなか理解してもらえないようですね。
そんな場合、レンタルとかあれば便利と思い探してみたら
最近はそういうもののあるようで、便利な世の中になりましたね~。
しかもこちらの不安を見透かしたかのように
またご自身で山登り道具などを購入したけど、
もう山登りなどしなくなり道具が不要になった方などは
そのような道具を買い取りしてくれるサービスも
あります。いや~、世の中探してみると
欲しいサービスって見つかるもんですね~。
ほんと便利な世の中です。
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