小澤静江(北洋建設会社/逆転人生)プロフや経歴は!?元受刑者社員との絆が感動!!

こんにちはtakaです。

今回(2020年6月22日)の

逆転人生では

北海道札幌市にある建設会社

「北洋建設」の会長さんの

小澤静江さんが登場されます。

 

小澤静江さんが会長を務められてます

「北洋建設」さんが

刑期を終えた「元受刑者」さんを

日本でもっとも受け入れているという会社ということで

注目されており、色々調べましたので

一緒に見ていきましょう

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1.小澤静江(おざわ しずえ)さんのプロフィール

出典:https://www.google.com/

プロフィール

名前 :小澤静江(おざわ しずえ)

生まれ:不明

生まれ:北海道

所属 :北洋建設

役職 :取締役会長

受賞歴:受刑者雇用の実績が高く受賞歴多数

「東久邇宮文化褒賞」(皇室)

「東久邇宮記念賞」(皇室)

「法務大臣感謝状」(法務省)

「安全で安心なまちづくり表彰」(札幌市)

小澤静江さんが会長を務められてます

北洋建設は1973年、

小澤静江さんのご主人である

政洋さんによって、六畳一間から興した会社です。

小澤静江さんにとってはいわばわが子のような会社。

 

しかし脊髄小脳変性症でご主人(政洋さん)が50歳で亡くなり、

このとき、静江さんが急遽社長になるということだったのですが

その時のことを息子さんの小澤輝真さんが

それで私は初めて自分が家業を継がないとだめだと思い、

当社への入社を決意しました。17歳の時です

と語っています。

こうして息子さんが北洋建設への入社することになりました。

息子さんご自身も色々と紆余曲折があったお方

 

しかも、いきなり後継者としての立場での

入社ですので、プレッシャーが半端なかったでしょうね。

ですが、小澤静江さんは息子さんから

「自分がお母さんの後を継ぐ。

それまで頑張って」と伝えました。

と伝えられたそうです。

頼もしい、親孝行の息子さんに

育って良かったですね~。

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2.小澤静江さんの経歴が凄い!?

小澤静江さんの北洋建設はご主人の

政洋さんと六畳一間から興した会社です。

 

1973年当時といえば、高度成長期で景気がよく、

建設業はどの現場も人手不足で、

とにかく人を出せばそれだけお金になるような時代でした。

 

それでお父さんである政洋さんは

独立して間もなく、人脈に乏しかったこともあり

会社のすぐ近くにある札幌刑務所を訪ね、

「おまえ、どこに行くんだ?

引き取り手がいないならうちへ来い」と言って、

受刑者を雇い始めたんですね。

 

ですから、小澤静江さんにとって北洋建設で

受刑者が周りにいることは、

創業後間もなくからごく当たり前だったんですね。

 

そんな環境で会社を支えていた静江さんは

当時は「飯炊き」担当として会社を支えていたそうです。

それは毎朝4時から30人以上の食事を用意から始まり

そしてみんなの分の弁当を持たせる。

 

朝からそんなにハードにもかかわらず、

夜は夜で寄って暴れる男たちを命がけで

諫める。

 

ご主人が生きていたころは、

「会社の社員は何があっても守る」という

社長のいうことは、しっかり聞くが

そのご主人自身は、社員を家族として守るが

会社外では仕事が上手くいっていたせいもあってか

外での遊びもあり、奥さんの静江さんとしては

大変だったのでは?と想像に難くないですね。

 

「肝っ玉母さん」と昔はよく聞きましたが

小澤静江さんはその経歴の凄さから

言葉にピッタリな気がします。

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3.小澤静江さんと元受刑者社員さんとの絆が感動!!

小澤輝真さんご自身はそのようなご自身の

過去の経験や小さい頃からの環境に基づき

元受刑者さんを受け入れる信念や自然なことと思われていますが

会社の周辺の一般の方にとっては、元受刑者さんが

多く集まるという話しを聞くと

それだけで、実情をよく確認しないまま不安に思う方も

おられるのでは?会社のイメージがどのように思われてるのか

心配になり、調べてみました。

北洋建設の場所などの情報です

所在地: 〒812-0888 福岡県博多区板付4丁目6−33

電話: 092-589-0151

 外観

建設会社ということからか、

とてもりっぱな建物ですね~。

 

会社の周辺の方や北洋建設で働く方などからの評判ですが

周辺の地域の方々などからは

創業当初はやはり中傷などがあったようです。

実際、上手くいくケースばかりではなく、中には

警察のおせわになることもあったそうです。

 

500人もの猛者を雇い入れれば、やはりゼロということは

非常に困難でしょうね。

 

ですが、そんなときでも、問題を起こした社員を

決して見放すことはなく

「うちの社員は何があっても守る」という信念のもと

社員を守り続けてきました。

 

薬物で問題を起こし警察の世話になった社員は

会社に迷惑がかかる前に自首したり

少年が警察の世話になった時は

静江さんが、泣きながら本人の頬っぺたを

叩き、警察を驚かせたそうです。

 

もちろん社員への愛情からですが、

そんな心のこもった社員への対応が

社員さんに伝わらないわけがなく、

北洋建設から巣立っていった社員の中には

毎年、一月と五月に贈り物を送ってくれる人もいるほどだそうです。

一月は静江さんの誕生日、五月は、母の日に

いまでも贈り物を送り続けてくれる。

続けていること自体が凄く気持ちがこもっている証ですよね。

 

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