こんばんはtakaです。
今回(2020年9月15日)放送の
サラメシでは
2018年7月に惜しまれながら
亡くなられた浅利慶太さんが愛した
山荘のおにぎりと特製コロッケが取り上げられます。
『キャッツ』など多数の演目で有名な
劇団四季創設メンバーの一人で
商業演劇の新たな道を開拓した演出家である
浅利慶太さんが愛した料理ということで
興味があり調べてみましたので
一緒に見ていきましょう
以前放送された、他の芸能人の方の
お気に入りのお店や美人さんのサラメシなど
素敵なサラメシがたくさん
今日も食べられているということが分かりますね
1.浅利慶太さん のプロフィール
名前 :浅利慶太(あさり けいた)
生まれ:1933年3月16日
出身 :東京都
学校 :永田町小学校(現麹町小学校)
慶應義塾高等学校、
慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退
職業 :演出家、実業家
経歴 :特選塾員。慶應義塾評議員
1974年・51年 紀伊國屋演劇賞
1976年 芸術選奨文部大臣賞
1984年 テアトロ演劇賞
1985年 アッビアーティ賞
1986年 経済界大賞特別賞
1993年 日本シェイクスピア賞シェイクスピア演劇賞
2.浅利慶太さん の経歴が凄い!?
浅利慶太さんの経歴は
1953年7月、慶應義塾大学、
東京大学の学生を中心に劇団四季を結成しました。
主に、ジャン・アヌイやジャン・ジロドゥ等
フランス文学作品を上演していました。
その後東京田辺製薬(現:田辺三菱製薬)にて
宣伝・広告などのアルバイトをしながら、
日本テレビの「ジャングル・ジム」の
吹き替えアテレコに劇団として参加しました。
劇団四季は、もともとは文化・芸術志向の良質な劇団だった。
60年安保の際には、安保反対の劇団四季の学生もいて、
寺山修司は「安保反対のデモに行きたいという
劇団四季の学生をぶん殴って、
デモへ行くな、俺の演劇こそ世界を変える」と語ったと、
自身の著書で述懐している。だが浅利の右派への転向もあり、
劇団四季は70年代にはミュージカルを
上演する国内有数の商業主義劇団へと変化した。
また、1958年には、石原慎太郎、江藤淳、
谷川俊太郎、寺山修司、永六輔、黛敏郎、
福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、
60年安保に反対した。だが、後に思想的には保守化する
3. 浅利慶太さんが愛した長野の山荘の場所やアクセスは?
そんな浅利慶太さんの愛した
長野の山荘のおにぎりと特製コロッケというのが
どんなお店なのか興味がありますね~。
情報を探してみましたがなかなか有効な情報が
見つかりませんでした。
ある記事の「大町に拠点があるのは、浅利慶太代表の
遠縁の方がいて、四季の稽古場を兼ねた山荘を
建てたのがきっかけです。」との
記事などの断片的な情報から、おそらく四季の
資料館などから近い場所のここかな?という場所が
以下の通りです。
間違ってたらごめんなさい。
番組で情報入手しましたら更新したいと思います
店名:調査中
所在地: 〒398-0001 長野県大町市平上原1955−205(?)
外観
3. 浅利慶太さんが愛した長野の山荘のメニュー・料金、評判は?
残念ながら
浅利慶太さんが愛した山荘のメニュー・料金
評判などの情報が見つかりませんでした。
番組で情報入手しましたら
更新したいと思います。
他にも著名人が愛したサラメシをまとめてみました
著名人の意外な料理がサラメシがご覧になれるかも
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