田部井淳子(登山家)の愛した山ようかんはどこの?レシピは?7大陸最高峰踏破の偉業に寄り添った?【グレーテルのかまど】

こんばんはtakaです。

今回(2019年9月16日)の

「グレーテルのかまど」では

田部井淳子さんの

愛したようかんです。

7大陸最高峰踏破の偉業などにも

癒しとして寄り添ったものの一つ

それほどの偉業を成し遂げた女性の愛した

山ようかんの種類やレシピ作り方などを

一緒に見ていきましょう

スポンサードリンク

1.田部井淳子さんのプロフは?

出典:https://www.google.com/

プロフィール

名前 :田部井淳子(たべい じゅんこ)

旧姓 :石橋順子(いしばし じゅんこ)

生まれ:1939年9月22日-2016年10月20日

出身 :福島県田村郡三春町

卒業校:昭和女子大学英米文学科

九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程

 

田部井淳子さんの登山家としてのキャリアのきっかけは

三春小学校卒業。小学4年の時に

那須の茶臼岳に登ったことが

(一説には福島・安達太良山とも)

登山家への意識の芽生えになったと言われている

 

大学卒業後も日本物理学会で学会誌の編集に

従事しながら社会人の山岳会に入会し、

登山活動に力を注ぐ。

1969年、「女子だけで海外遠征を」を

合い言葉に女子登攀クラブを設立した。

翌年にアンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功した

ことを皮切りに数々の女性初などの偉業を成し遂げる。

田部井さんの山登りへの考えが著書にあります。

「私が山に登り続けてきたのは記録を作りたかいからでも

限界と試したいからでもありません」

「自分が見たことのない景色を見たい」から

つまり私は登山家ではなく、登山を純粋に楽しむ愛好家なのです

著書「人生、山あり”時々”谷あり」より

2.田部井淳子さんの実績が凄い!?

田部井淳子さんの著名な実績

エベレスト登頂(1975年)

 

日本

6人目/女性1人目

6番目/女性1番目

世界

38人目/女性1人目

39番目/女性1番目

七大陸最高峰登頂(1992年)

 

日本

1人目/女性1人目

世界

19人目/女性1人目

 

受賞

グルカ・ダクシン・バフ賞(1975)

スポーツ功労顕彰(1975,1992)

日本スポーツ賞(1975)

朝日体育賞(1975)

エイボンスポーツ賞(1988)

スノーレオパード賞(1995)※当時女性最年長[1]

NHK放送文化賞(2009)

第1回ネパール社会貢献者表彰(2018)

3.田部井淳子さんの登山にまつわるエピソードが凄い!?

田部井淳子さんの登山にまつわるエピソードが凄い

何が凄いって、登山で雪崩に巻き込まれていながら

無事生還しているところ。しかも一度ではなく三度も

 

 

一回目はエベレストの第二キャンプ(6500m)で

テントごと雪崩に埋められた。

二度目は1986年にポベーダ山(トムール)の

雪崩で600m流され

三度目は、その夜に再び近くを通過した雪崩の爆風に襲われ、

テントごと吹き飛ばされた。

 

雪崩に遭う機会そのものもそんなにないと思われるのに

生涯に三度も。しかもそのうちの二度は同じ日になんて。

 

田部井淳子さんは雪崩の経験だけでも十分すぎるほど凄いですが

それ以外にもまだ凄いことが。

登山、特にエベレストのような凄い山に登るには

登山のスキルだけでなく、お金を含め様々準備が

必要だと素人の私でも何となく思います。

多額金額が必要でとても自腹ですべてなんて難しそうだなぁと

思うのですが、その点でも田部井淳子さんは凄いポリシーを

お持ちですね。このような意志の強さが女性初を成し遂げる原動力?

 

旅行会社が企画する登山ツアーやTV、

雑誌の登山企画の出演によって謝礼は得ているものの、

自分が求める登山ではスポンサーなどによる

資金を得ずに自身でお金を支払っていること、

エベレスト後の登山では一切スポンサーをつけていない

スポンサードリンク

4.田部井淳子の愛した山ようかんは?

そんな数々の女性初などの偉業を成し遂げた

田部井淳子さんの登山には意外なものが

いつもおともにあったようです。

7大陸最高峰踏破など、世界をリードし続けた

女性登山家・田部井淳子さん。

そのリュックには、いつもお茶を楽しむ

野点(のだて)のセットと、

ようかんが入っていました。

 

極限ともいえる登山の場所での

野点セットとようかん

なんとも、意外な組み合わせですね。

なかなか想像つかないものですね。

 

ですが言われてみれば、極限の状態に

追い込まれる登山だからこそ、

その対極にあるかのような「癒し」が

必要ということなんでしょうか?

 

極限の環境での癒やしであり、

非常食にもなった相棒。

それはまた、家族との絆でもありました。

 

どんなようかなのか番組で情報が

手に入りましたら更新したいと思います。

茶碗は「キンマ」と呼ばれるミャンマーの工芸品

かごはブータンの工芸品「バンチュン

長男の進也さんの思い出では

ようかんは山の中での「行動食」として

母’田部井淳子さん)との思い出が一番詰まっているそうです。

田部井淳子さんが、登山に「ようかん」のような

甘いものを持っていくようになったきっかけらしきものは

ご主人との出会いの時にあるようです。

登山の途中の休憩の時にご主人から差し出されたのが

上述の「山のかき氷」。通常山登りの時は

「紙一枚」でも軽くするよう考えるのに

ご主人はこのような甘いものを持参していることに

驚きを感じ、その影響もあって登山に甘いものを持参するようになったそうです。

その後、2012年から福島県の

高校生と富士山の登山を開始。

大震災後の地元、福島を元気付けたいとの思いからだそうです。

田部井淳子さん亡きあとは、長男の

進也さんがその遺志を引き継いでいます。

もちろん登山途中の休憩の時の

栄養補給は、母、淳子さんが愛した

ようかんだそうです。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です