こんにちはtakaです。
今回のマツコ会議では
HIP-HOP音楽プロデューサー
トリル・ダイナスティ「Trill-Dynasty」さんが登場。
日本(茨城)にいながら全米ビルボード1位!という
日本人初の快挙を達成したことで話題に。
「楽譜が読めない?ナゾの素顔と
チャーミングなキャラにマツコ超どハマリ!」
そんなプライベートも含めた
トリル・ダイナスティのキャラクターを、
「こういう人と仲良くなりたい。
アタシの理想に近い」と、
その魅力をマツコが深掘りする。
どのような素顔や魅力が発掘されるか
楽しみですね。
色々調べてみましたので
一緒に見ていきましょう。
1.「トリル・ダイナスティ」の由来や本名・年齢は?
今回「マツコ会議」で取り上げられます
「トリル・ダイナスティ」さん。
管理人は今回マツコ会議の番組で初めて知りました。
「茨城にいながら全米ビルボード1位」と達成したほどの
スゴイひとなの・・・・
知らなかったということもありますが
まず、お名前の「トリル・ダイナスティ」が
インパクトありますよね。どういう意味・由来から
来たのか?知りたくなると思います。
由来を説明したご本人の記事などありませんでしたので
語源から推測してみました。
トリル(Trill):音楽における装飾音のひとつ
ダイナスティ(Dyansty)は英語で王朝や王家、
または(特定の分野の)支配層や名家の意
今回全米一位を獲得しても「それは通過点に過ぎない」
と語る向上心から、最初から音楽界の頂点を目指す
意味でつけたのかもしれませんね。
活動名のトリル・ダイナスティの由来は上述のように
推測してみましたが、本名や年齢なども
動揺に気になりますよね。
本名についてはBillboard一位を獲得したときの
以下の写真から「いしいだいき」と思われます。
出典:https://www.google.com/
こんな名前の表記の仕方もするんですね。
2.トリル・ダイナスティさんのプロフ経歴・職業は?
名前 :トリル・ダイナスティ(Trill Dynasty)
本名 :いしい だいき
生まれ:1992年
年齢 :29歳(2021年10月時点)
出身地:茨城県北茨城市
学校 :不明
特技 :野球
職業 :作曲家、音楽プロデューサー
前職 :部品工場(2015年(?)~2021年7月末まで
出典:https://www.google.com/
本日、約6年勤めさせてもらった
会社を退職しました。
今の会社には思い入れがあって、
特に僕を変えてくれた上司との
出会いが一番でかいなと思ってます。
みんなも頑張ってこいって送り出してくれて、
いつでも戻ってこいって言ってくれたりすごく幸せでした。
2015年からDJとして本格的な音楽活動を開始し、2018年に作曲家に転身
トリル・ダイナスティは
「僕が住んでいるところは、周りに田んぼと山しかないド田舎。
だけど、努力すれば道は開かれる」と語る。
私生活においては、全米ビルボード1位獲得後に
収入が上がったというが、堅実な生活は変わらないのだそう。
車も、先輩からタダで譲り受けた
走行距離25万キロ超えの中古車に乗っているのだそう
3.トリル・ダイナスティさんの全米1位への道のりは?
2015年からDJとして本格的な音楽活動を開始し、
2018年に作曲家に転身。
しかし、それまでは音楽活動をしてこなかった
トリル・ダイナスティさん。
学生時代は野球一筋でスポーツ特待生として
県内の大学に進学したのですが肩を故障し
中退したそうです。
実は楽譜が読めないという疑惑が・・・・。
しかも英語にも関わるしごとでもなかったため
英語も出来ない状態と思われます。
そんな状態では普通なら全米1位を獲得しようとは
思いつく人はあまりいないとおもわれます。
しかし、トリル・ダイナスティさんは違ったようです。
アルバイト先の先輩からDJミキサーと
ターンテーブルを貰ったことを機に
21歳のときにDJを始めて音楽の世界に飛び込んだ。
そんなある日、「ラップしたいけど曲が作れない」という
友人からいわれたことをきっかけに
数万円のパソコンとキーボード購入し制作を始め
やがて作曲に興味を持つようになり、
独学で音楽を作り始めて、
これまでに作った曲数は約2,000曲にもおよぶ。
楽譜が読めないということよりも
曲づくりの面白さにのめり込んでいったそうです。
そして、自分の曲を海外のプロデューサーに
認知されるように会員制好交流サイト
SNSのダイレクトメールから地道に送り続けたという。
英語の壁についてはグーグル翻訳を
利用していたようです。
楽譜も読めない、英語も出来ないという
全米一位になるには絶望的に不足している状態から
曲就く理解してからわずか三年での快挙ですが
面白くのめり込むこと、そして努力すれば
何とかなることを証明した感じですね。
今回全米一位を獲得したこと自体
過去の日本人によるビルボードチャート首位は、
1963年に「上を向いて歩こう(SUKIYAKI SONG)」で
1位となった坂本 九さんをはじめ、
シンセサイザー奏者の喜多郎さん、
ジャズピアニストの松居慶子さんらの例がある。
しかし、ヒップホップの本場、
アメリカのビルボードR&B/HIP HOP
アルバムチャート首位の作品を
ロデューサーとして手掛けたのは日本人初
という凄いことなのですが
トリル・ダイナスティさんご自身は
「ビルボードはあくまで通過点」
「本当は楽曲政策を始めてから一年で
取りたかった。やっと一枚」というのが素直な気持ちとのことで
とても強気な発言が今後への期待も大きくなりますね。
今後のトリルダイナスティさんのご活躍を応援していきたいと思います。
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