こんばんはtakaです
今回(2020年4月9日)放送の番組【カンブリア宮殿】では
「世界を変える医療第1弾」として
吉岡秀人さんが出演されます。
吉岡秀人さんは「どんな患者も断らない」を信条に
東南アジアで15年以上にわたり
医療活動などを続けるNPO法人ジャパンハート。
これまで救ってきた患者は20万人以上
東南アジアなど海外でNPO活動を
20年以上継続すること自体凄いと思い、
どのような方なのか調べましたので
一緒に見ていきましょう
1.吉岡秀人さんのプロフ・経歴が凄い!?
名前 :吉岡秀人(よしおか ひでと) 生まれ:1965年8月12日 出身 :大阪府上田市 学校 :大分大学医学部 所属 :ジャパンハート 役職 :最高顧問 1965年 8月 大阪府吹田市生まれ。 大分大学医学部を卒業後、大阪、神奈川の救急病院で勤務。 テレビで見たアフリカの飢えた子供の姿に 衝撃を受けた吉岡青年(当時19歳)は、 医者の道に進む。 大分大学医学部卒業後、 小児外科医として日本の病院に勤めていた彼は、 1995年はじめてミャンマーへ。 そこで、医師不足に悩む現状を目の当たりにする。 平均月収3,000円のこの国では、 病院の門をたたくことさえ困難な人たちが大勢いる。 だから吉岡は無料で治療を行っているんだそうです
1995年~1997年 ミャンマーにて医療活動に従事。
1997年~2001年 国立岡山病院勤務小児外科医師
2001年~2003年 3月 川崎医科大学勤務小児外科講師
2003年 4月~現在 再びミャンマーにて医療活動に従事
2004年 4月 国際医療奉仕団ジャパンハート設立..
そして無報酬の医療活動を開始した。
治療をすれば助かる命。
2.吉岡秀人さんと認定NPO法人ジャパンハート
テレビで見たアフリカの飢えた子供の姿に
衝撃を受けた吉岡青年(当時19歳)は、
医者の道に進む。
大分大学医学部卒業後、
小児外科医として日本の病院に勤めていた彼は、
1995年はじめてミャンマーへ。
そこで、医師不足に悩む現状を目の当たりにする。
そして無報酬の医療活動を開始した。
はじめは1人で活動を始めた創設者の吉岡。
「どんな患者も断らない」を信条に治療を続けてきた。
そんな吉岡の病院には、
噂を聞きつけ2日も3日もかけて訪ねてくる患者が絶えないそうです。
そんな助けを求める人たちの期待に応えるため
吉岡秀人さんの勤務は朝は5時から夜は深夜まで、
そして季節は夏場は気温40度を超える
手術室で懐中電灯の灯りを頼りに日に10件、
年間1000件もの手術をこなす。
30歳の頃にミャンマーに始めてきて約二年間
そしてその後一旦日本に戻るも
38歳の頃に再度ミャンマーに戻り医療活動再開。
しかし、一人ではさすがに体力的にも
1人でも多く救うには「組織」が必要で、
ボランティアで運営できる仕組みを作り上げた。
「医療の届かないところに医療を届ける」
という活動は国内でも展開。
海外で一人で医療活動を早朝から深夜まで
しかもNPO法人を立ち上げることだけでもすごいのに
しかも長年にわたり継続できる組織をつくりあげたところが
さらに凄いですね。
持続できるNPOとは?ジャパンハートとは?
3.吉岡秀人は結婚してるの?
吉岡秀人さんの30歳の頃にミャンマーに
そして38歳の頃に再度ミャンマーに来ています。
ある意味適齢期のような年齢の時に
海外に来ており、しかも朝は5時から夜は深夜まで、
医療活動に従事しておられたということなのですが
ご結婚はされているのか?が気になりますよね~。
周りの方の健康や幸福も大切ですが
ご本人の幸せもあってこその
他人へも十分な気持ちを注ぐことが出来ると思いますので
結論から申しますと、
吉岡秀人さんはご結婚されているようです。
しかもお子さんも男の子がお二人いるようです。
お子さんの年齢は10歳前後くらい?
年齢から推測して、2010年より前くらいにご結婚されてた感じなのでしょうか?
1997年~2001年 国立岡山病院勤務小児外科医師
2001年~2003年 3月 川崎医科大学勤務小児外科講師
2003年 4月~現在 再びミャンマーにて医療活動に従事
吉岡さんの経歴とお子さんの年齢等から
考えますと日本にいたころにご結婚されたのでしょうね。
4.吉岡秀人さんの年収は?
はじめは1人で活動を始めた創設者の吉岡英人さん。
そんな吉岡英人さんの年収がどれくらいなのか
興味ありますよね~。
ですが情報を探してみたのですが見つかりませんでした。
「どんな患者も断らない」を信条に治療を続けてきた。
1人でも多く救うには「組織」が必要で、
ボランティアで運営できる仕組みを作り上げたそうです。
「医療の届かないところに医療を届ける」という活動は
国内でも展開。
ですが吉岡秀人さんは無償で活動しています。
最初は日本の医者でためた給料のみでスタートしました。
自分で医療器具や薬を探し回って買ったそうです。
ミャンマーでは最初は食事代として1日1000円支給されました。
しかし、秀人さんはこのお金で野菜や果物など食べ物を買い、
子供たちのために食事を作って提供しました。
そうするとみんなが今度は農作物をくれるのでこれでまた食事を作り配る。
余ったお金で薬を買うことが出来、診療所で助けられる人が増えました。
そのようにして活動していたようです。
夏場は気温40度を超える手術室で
懐中電灯の灯りを頼りに日に10件、年間1000件もの手術をこなす。
通常の診療だけでも結構な費用が掛かると思うのですが
節約しているとはいえこれだけの手術を行うには
最低レベルの費用は掛かると思うのですが
情報が残念ながら見つかりませんでした。
番組内で情報見つかりましたら更新したいと思います。
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